書きたいこと、想ったことを書く
[Via ウェブログことのは]
もう、一月も終わったというのに、時期はずれだけれども、昨年の一大事は何かというとこの場を作って自分を晒したことだ。想ったことを書く、日常や非日常をつづる。それは私にとってとても敷居の高いことだった。たまたま勤務先の空いたサーバーにMTをインストールして使ってみて、これは何かが変わるかも...そのときから、もう少し深く関わってやろうって想った。それがそのそもの発端。まさにブログをやってみようと想って、実行に移したのだ。書きたいからというよりブログに関わって何が変わるのか体験したかった。
TypePadを知り、たまたまデモユーザとして参加できたのも契機で、今もTypePadを使っている。昨年の夏以降、ぼちぼち書きためたエントリーが80少し、決してまめではない私が、何とか続けてこれたのはトラックバックやコメントで繋がれた人たちの存在が大きいと想う。
ウェブログことのは、松永さんは言う。
ウェブログを始めるな!
・・・・「ウェブログ」というものをやってみようと思うな、ということである。そうではなく、あなたの表現したいものがウェブログを使って効果的であるのなら、ウェブログというスタイル(あるいはウェブログ用ツールやサービス)を使ってみればいい、ということだ。短く言えば、「無理してブログを始めようと思うな、ブログは便利だと思った人が使えばいいものだ」ということだ。
なるほど、伝えるべきこと、したいことがあって、それを実現するための道具がブログであるのだ、その通り....無理はいけない。でもそのきっかけが、「ひともすなるブログでもやってみるか」...でも好いんじゃないかなって想う。
書き続けることは大変だし、そんなに毎日、書きたいこともないかも知れないし、そのうち止めてしまうようなこともあるかも知れない。でもそれはそれで好いのだ。そういう気持ちを書いたことで、日記とどう違うかと議論したり、そうすることが無意味だって、それはそれで好いんじゃないかって想う。まさに想ったことを書き連ねること、それで人が繋がって行く。言い放つだけじゃなくて、次の展開を予め機能やコンテンツの標準化という結果として用意してくれたのがブログというシステムの懐の深さ。どう使うかは個人の自由。その良さを見つけられない人は止めればよい。むしろ書きたいことがないならば、そのままにしておこう。ブログをやって発見したんだけど、書きたいことを見つける作業は結構楽しいことだ。その楽しさを共有することがブログの最大の楽しさだと想うんだけどね。もちろん、いまのブログ登場以前のツールでも十分それは実現可能なんだろうけど、そこの敷居を低くするのがその道具:ブログのひともすなる理由なんだろうな。
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