ブロガーはジャーナリストか?って...
「思ったことを思ったように書く、読む。そして繋がる。」
3年前にブログ人というサービスを立ち上げたときのコンセプト。
とうに担当を抜けてしまった、いま、今のブログ人に、そのコンセプトが引き継がれているかどうかはよくわからない。様々なエントリーを眺めていると、きっと、サービス提供者というよりも使ってくださる人たちが、まさにこのコンセプトを体現してくれているのだと思う。
なんだか、こんなことから書き出してしまったのは、ブログはジャーナリズムかなんて、記事を読んだからだ。
ブロガーはジャーナリストか?・商業主義のど真ん中で議論する米国
日本では、企業やマーケターはブログを新たな媒体や販促ツールとして見る傾向が強い。メインストリームメディアは依然としてネットと距離を置き、ブロ ガーは「ジャーナリストではない」と言う。誹謗、中傷、無批判な宣伝行為——。「責任」という言葉とはほど遠い活動をしているブロガーもいる。ブログをめ ぐる責任といった本質的な議論を抜きに、CGMや「口コミマーケティング」がもてはやされようとしている現状は、「砂上の楼閣」なのかもしれない。
ブログがジャーナリズムかどうかなんて、よくわからない。果たして、そんな問いの設定が、有効なことかどうかもよくわからない。いや、わからないというか...そんなの意味ないじゃんって思った。
ブログとかのいわゆる個人のメディアが経済化すること、すなわち、広告とか、お金の流れが組み込まれることは必然だし、そこには正義とか倫理とか、そういった切り口で、責任が問われる場面が生ずるには違いはない。ジャーナリズムも経済の中で成立している。メディアと商業主義の関連は昔 から論じられてきたこと。新しいテーマではない。
ただ、個人が不特定多数の人たちにメッセージを比較的容易に伝えられる時代になって、そこに経済が組み込まれることで、話し手も聞き手も、お金の 流れ(アサマシ)に対して敏感になりつつあるのは事実だ。
様々な考え方があるのだろうが、僕は、個人のブログがそうした経済に組み込まれる.ことは、良い方向だと思う。自ら発信することを継続させる仕組みとして、お金の流れを作ることは、理にかなっている。そのために様々、議論や試行がなされることは、今の流れから必然で、来年はそうした試行がたくさん出てくることになるだろう。
個人メディアの経済化、規模の拡大。僕は、それによって個人メディアがどう変わるべきかという議論よりも、「メインストリーム」であるジャーナリズムが、どう変容するのかということに興味と関心があ る。ブログがジャーナリズムかなんて疑うよりも、そもそもジャーナリズムって何?ってところから疑ってかからないと....。「いわゆる ジャーナリスト達(側)」が語るブログ論は、僕にはつまらないことが多い。
自分の視点で、思ったことを思ったように書く、読む。そして繋がる。思ったこと、自分で考えたこと、気づいたこと、何気ないこと、つまらないことでも、様々感じたこと、
日常を周辺を記録する。伝えたいことを伝える、嘘がなければ、そこに信頼が生まれる。
舞台の上からじゃなくて、客席から声を発する。そこからなにか変わることがあるかもしれない。舞台と客席という構造は変わらなくても、だれもが舞台に立てる、そんな仕組みを僕らは手に入れたのだ。
ネットとかリアルとかそう言う垣根を越えたメディアのあり方とか、伝 わること、コミュニケーションが普通のこととして営まれる場、もっと現実味のある議論を、そして仕組みやツール。ああ、こういうことにもう少し、つっこん で関わっていきたい気がするんだけど、どうも、まだまだ修行も時間も足りない...。
最近流されているなぁと感じる、自分へのメモ。
(ぐちゃぐちゃで中途半端だけど、勢いで公開)
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ああ、Weekendももう終わり...
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「アッパーでアクティブな週末」にしたかったのに...
病み上がりの、一人語りモード...。
こんにちは。ブログに対する考え方にすごく共感しました。
「ブログはジャーナリズムか」という問いについては、上記内の文章にもリンクされているイベントで、ダン・ギルモア氏が語っていた内容でわたしは納得しています。TrackBackしていなかったようなので、長いですが下記に該当記事のURLと該当部分を引用させていただきます。
http://kush.typepad.com/blog/2005/09/dan_gillmor.html
>ロンドン地下鉄同時多発テロの写真を例に「素人によって携帯デジカメで撮られたその写真は、瞬く間に世界のメディアの一面トップとなった。撮影者は報道を意図してその写真を撮ったわけではないかもしれない。ジャーナリズムの存在を意識すらしていなかったかもしれない。また、その人は今後二度とジャーナリズムに類する活動を行うことはないかもしれない。しかし、その場所、その瞬間のそれはジャーナリズムだったのだ」
Posted by: kush | 2006.12.18 at 09:13
kushさん コメントありがとうございます。
「その場所、その瞬間のそれはジャーナリズムだったのだ」そう、こういうのがまさに言いたかったことで...。
たまたま昨日の日曜日に配られたNIKKEI MAGAZINE12月号で、ネタフルのコグレのインタビューを元にしたコラム欄があって、その中で、かつて「書くことは」は選ばれた人の特権だったが、状況は変わったと、現在のブログが生み出した状況変化を指摘する記述を見つけました。
この変化が社会をどう変えるのか、変えないのか、当事者として、関わっていけたらいいなぁと思います。
Posted by: kwmr | 2006.12.19 at 00:09
間違いなくブログはkwmrさんの思う方向に普遍化し、広がっている・・・というよりも、空気のように拡散し、呼吸されてきていると思います。
その中で、ジャーナリズムしたい人はできる。文学したい人はできる。そういうもんだと思います。
一貫して「ブログはコミュニケーションツール」と主張していたkwmrさんの手がけたブログが私のブログデビューで良かったと、最近思ってます。
先日、うちで書いた記事は、これを読んでから書いたわけじゃないんですが、これ読んで、kwmrさんが今でもkwmrさんであることを再確認させてもらいました。
Posted by: すしバー | 2006.12.25 at 18:08
すしバーさん
有り難き、お言葉。なにが本質で、なにがそうでないか。そこにこだわって、これからもブログとか続けていければ、いいなぁと想います。
Posted by: kwmr | 2006.12.26 at 01:57
ジャーナリストがブログも使う・・
時に、ふだんは異なる生業をしている人の中のジャーナリストのようなことをせずにはおられない一瞬もあって、そういう人がブログを使うこともある・・・
という形でないと状況を把握できない私であります。
Posted by: 中川一郎 | 2006.12.27 at 22:26
中川さん
まさに、こうでなければいけない、というものではなくて、様々な生業が状況を生む、そういうものだと思いました。
まずは、自分が何をするか、どう動くか、そこの問題。という気がします。
Posted by: kwmr | 2006.12.29 at 10:03